電子研究所
電子航法研究所
Google
WWW を検索 enri.go.jp を検索
用語集 プレスリリース 案内図 採用情報 FAQ お問い合わせ
HOME > 研究のご紹介 > 新井研究員の南極観測レポート
研究のご紹介 新井研究員の南極観測レポート
はじめに
2008年3月の記事
2008/3/20(2)
観測隊員退艦
2008/3/20(1)
シドニー入港
2008/3/19
シドニー沖到着
2008/3/17
耐圧試験
2008/3/16
卒業式
2008/3/15
南緯55度通過
2008/3/13
しらせ揺れる
2008/3/12
南極工芸展
2008/3/10
時刻帯変更
2008/3/7
南極大学
2008/3/1
南極観測とは
2008年2月の記事
2008年1月の記事
2007年12月の記事
2007年11月の記事
2007年10月の記事
2007年9月の記事
2007年8月の記事
2007年7月の記事
2007年6月の記事
2007年5月の記事
2007年4月の記事
2007年3月の記事
2007年2月の記事
2007年1月の記事
2006年12月以前の記事
新井研究員のご紹介
新井研究員の南極観測レポート

    通信・航法・監視領域の新井直樹研究員が、当研究所としては初めて南極地域観測隊(第48次)に隊員として参加することになりました。

    そこで、新井研究員からのレポートを出発前から帰国まで随時掲載いたします。


はじめに
  「いつか南極へ行きたい」。そう思ったのは小学生の時のことでした。テレビで南極の番組を見て、美しいオーロラ、愛らしいペンギン、そしてどこまでも続く白い氷原に魅せられてしまったのです。それから30年が経ち、ようやく南極へ行くことになりました。

  東京生まれの東京育ち、富士山に登ったこともない、まして冬山の経験もない。2人の子供の、ごく普通のパパが、どのようにして南極観測隊員になっていくのか、南極で何を見て何を感じるのか、この場をお借りして皆様にお伝えしていきたいと思います。

←2008年2月

 2008年3月28日 ありがとうございました
満開の桜
満開の桜

 朝起きて外を見ました。明るい日差しを浴びた、よく晴れた日本でした。満開の桜が咲いています。
 家を出て職場に向かいました。正門でなつかしい顔の守衛さんに会いました。私の顔を覚えていてくれたでしょうか。守衛さんは敬礼しながら言いました「本当に、お疲れ様でした」。私は頭を下げました。

 自分の部屋に向かいました。私が南極へ行っている間に、職場のレイアウト変更がありました。自分の部屋が分かりません。心配になりました。職場の人に会いました「お帰りなさい」。よかった、ちゃんと私の席はありました。

 こうして私は再び日本での生活を始めました。
越冬症候群とでも言うのでしょうか、奇妙な行動に周りの人たちがおかしな顔をしています。まるで自分が異星人のようです。
 財布を持たずに出かけてしまいます。雨が降ることも、傘を使うことも忘れています。電車に乗ってもカードの使い方が分かりません。周りの人はコートなのに半そでで出かけようとしてしまいます。迷子になったと思われ、心配した子供たちが探してくれました。職場で飛び交う言葉が分かりません。私は普通のスピードで話しているつもりなのに、聞いている人が私の言葉を待ちきれず先に話を続けてしまいます。
 一年四ヶ月という時間の長さ以上に、いままで全神経をまったく違うことに集中していたため、南極へ行く前の生活の記憶があきれるほど薄れてしまいました。
越冬中の時間を取り戻すのは簡単ではないようです。

 いまでも、南極を歩いていた感覚がありありと残っています。硬い雪、たたきつける痛い風、冷たく乾いた空気。気が付くと、自分の意識がこの場所から離れて、南極を漂っているような錯覚にとらわれます。またあの場所へ戻る日はおとずれるのでしょうか。

 一年四ヶ月の間、この南極観測レポートを続けることができました。長い間お読みいただきありがとうございました。すべての経験をここに書くことはとてもできません。伝えたくても、書くことを避けたこともありました。しかし私が見たこと、触れたこと、考えたことを、少しでも皆さんに感じ取っていただければうれしいです。
 機会がありましたら、私の南極での経験をぜひ皆さんに直接お話しさせていただきたいと思います。

 ありがとうございました
 さようなら

                        第48次南極地域観測隊
                        独立行政法人 電子航法研究所
                               新井 直樹

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月27日 観測隊員帰国

 カンタス航空135便、シドニー発成田行き。
機内には第48次越冬隊と第49次夏隊。日本が近づくにつれ、隊員たちは子供のようにそわそわしています。夏隊員は四ヶ月ぶり、越冬隊員は一年四ヶ月ぶりの日本です。

 窓から外をのぞくと、眼下に海岸線が見えてきました。夕闇が迫り、街の明かりが灯っています。高速道路を飛び越え、家々を通り過ぎました。高度が下がりました。旋回し滑走路に近づきます。建物が見えます。自動車が見えます。

 軽い衝撃とともに、機体は滑走路に着陸しました。
席を立ち、ターミナルへ向かいました。入国審査を終え、税関を通り、到着ロビーのドアが近づきます。
 ざわめきが大きくなりました。そして、出迎えの人たちの一番前に家族の姿が見えました。妻と娘と息子の姿が見えました。子供たちは飛び跳ねながら手を振っています。妻は涙を流していました。
 ようやく日本に帰ってきました。

 第48次南極地域観測隊、486日間の南極行動は終わりました。


▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月20日(2)  観測隊員退艦
観測隊員退艦
観測隊員退艦
帽振れ
帽振れ
  「しらせ」が接岸しました。
  乗員が制服で飛行甲板に整列しました。その前を観測隊員が進みます。見慣れた顔、いままで「しらせ」で一緒に過ごした人たちが、今日はまじめな顔をしています。

  退艦式では「時間節約のため握手は無しとする」と言われていました。本当は声を交わしたい人がたくさんいるのに、列に流されて前へ進んでしまいます。航海中に親しくなった人を見つけました。思わず立ち止まって握手をし、挨拶をしました。短い時間でした。
  並んでいた全ての乗員の前を通り過ぎ、最後に艦長と握手をします。
  「お疲れ様でした」「お世話になりました」

  そして「しらせ」を降りました。桟橋に並びます。
  「帽振れ」乗員が白い帽子を振っています。

  観測隊員を南極から無事に運び届ける、「しらせ」の任務は終わりました。

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月20日(1)  シドニー入港
シドニー港に近づくしらせ艦橋
シドニー港に近づくしらせ艦橋
シドニー入港
シドニー入港
  朝、「しらせ」は進み始めました。
  ゆっくりと陸地に近づいていきます。砂浜が見えます。高いビルが見えます。断崖ぎりぎりまで建物がこぼれそうに建っています。鳥が飛んでいました。すずめのような小さな鳥でした。こんな小さな鳥でも生きていくことができる、やさしい自然環境の場所に戻ってきました。右手に緑が広がっています。たくさんの木が植えられています。匂いがします。木の匂いです。南極には無い、しっとりとした緑色の香りです。地球に帰ってきた、と思いました。

  ハーバーブリッジに向け「しらせ」は近づいていきます。オペラハウスを右手に見ながら「しらせ」は左へ進みました。海軍の軍港に入港します。桟橋に近づきました。停泊しているオーストラリア海軍の艦船の横を通り過ぎます。ラッパの音にあわせて「しらせ」の乗員が敬礼します。それに応えてオーストラリア海軍の乗員が敬礼します。

  「しらせ」はさらに進んで桟橋に近づきました。誰かが手を振っています。シドニーまで迎えに来た隊員の家族です。自分の家族を見つけた隊員が声を上げます。久しぶりに家族、子供たちの姿を見つけ、たまらなくうれしそうな顔をしています。

  明るい日差しの中、「しらせ」はシドニーに入港しました。

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月19日  シドニー沖到着
  朝起きたら街が見えました。
  丸い窓から外を見たら、海の向こうに陸地と建物。しかも昭和基地にあるような3階建てではなく、そびえるような建物です。

  やがてタグボートがやってきました。「しらせ」の乗員宛の郵便物を積んでいます。向こうにはヨットが漂っています。
  「人がいるぞ」双眼鏡で覗いたら、ビーチに人が見えました。知らない人を見るのは久しぶりです。
  「車だー」道路を車が走っています。ものすごいスピードに感じます。

  ついに帰ってきました。
  今日はこのままシドニー沖で停泊、観測隊員は明日「しらせ」を退艦しシドニーに上陸します。

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月17日  耐圧試験
引き上げました
引き上げました
沈める前(左)と後(右)、小さくなりました
沈める前(左)と後(右)、小さくなりました
沈める前(左)と後(右)、五角形になりました
沈める前(左)と後(右)、五角形になりました
  「しらせ」の航海で予定していた全ての海洋観測が終わりました。
  一番最後に「耐圧試験」がありました。耐圧試験とは簡単に言うと、海に沈めてつぶしてみる、というものです。

  この日のためにカップめんの容器を集めておきました。ネットに入れて、艦尾から海に沈めます。ワイヤーが伸びて、どんどん沈んでいきます。深さ1000メートル。今度はワイヤーを巻き上げます。やがて海面から出てきました。
  「わー、ちっちゃい」
  カップめんの容器が、ぎゅっと小さくなっていました。
  海に沈める前、カップめんの容器の高さは106ミリでした。沈めた後は70ミリになっていました。

  一緒にマグカップも沈めました。ステンレス製で二重になっているマグカップです。沈めた後、大きさはほとんど変わりませんが、つぶれて五角形になっていました。四角でも六角形でもなく、みんな決まって五角形です。なぜでしょう?

  1000メートルの海底は100気圧。太陽の光も届かず、どんな世界なのでしょうか。

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月16日  卒業式
  今日は娘の卒業式でした。いや、卒業式のはずです。
  いまも「しらせ」は南極からオーストラリアへ向けて航海の途中、卒業式には出られませんでした。

  越冬隊員が日本を離れているのは16ヶ月間、一年と四ヶ月です。その間には、隊員の家族にもいろいろな事が起こります。赤ちゃんが産まれた、子供が入学した、家の冷蔵庫が壊れて困ってる、蛍光灯が切れたけど換えられない、今年は雪が多くて大変だ、子供がインフルエンザにかかった、花粉症がひどい、妻が病気になった、子供の入試があった、そして父親が亡くなった。

  日本から昭和基地までは1万4千キロ、冬の昭和基地は完全に氷に閉ざされてしまいます。たとえ家族に何かあっても、越冬中日本に帰ることはできません。
  35名の越冬隊員には35の家族があり、間もなく帰国する我々を日本で待ってくれています。
  南極観測隊員も日本では普通の父親、夫、息子、娘です。おそらく家族の支えがなければ、精神的に越冬を乗り切ることはできないでしょう。

  2008年3月27日、第48次越冬隊と第49次夏隊が帰国します。成田空港には、私の家族が迎えに来てくれることになっています。
  その日、税関を通り過ぎた私はドアを抜けてロビーに出ます。たくさんの出迎えの人たちの中から自分の家族を探します。背が伸びた子供たちが飛び跳ねながら駆け寄って来ます。私に飛び付きます。重たくなった子供たちを抱き上げるのが楽しみです。

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月15日  南緯55度通過
  「しらせ」は暴風圏の中を北に向かって進んでいます。激しい風と波、船体が大きく揺れています。
  「しらせ」は砕氷艦です。氷を割って進むために、船体が大きく揺れる構造になっています。波に持ち上げられ、横に振り回され、ドシンと叩き落されます。
  夜は眠れず、昼は起きて歩き回る事ができず、パソコンの画面をみていると具合が悪くなります。

  さて、「南極」という言葉が示す範囲にはいろいろあります。
  南極大陸を指す場合、昭和基地を指す場合、その他にも南緯66度33分以南(極夜・白夜がある)、南緯60度以南(南極条約の規定)、そして南緯55度以南です。
  南緯55度以南では、観測隊員に極地手当てが支給されます。金額は人によって違いますが、ずーっと昔から同じ額のようです。

  01:18 南緯55度通過
  今日の未明、南緯55度を通過しました。つまり、今日から極地手当てがもらえなくなりました。
  いままでありがとうございました。

  こうして、だんだんと南極を離れていきます。

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月13日  しらせ揺れる
北へ向かうしらせ
北へ向かうしらせ
本日の位置、南緯59度47分、東経150度11分
本日の位置、南緯59度47分、東経150度11分
  「しらせ」は南極大陸の沖合いを東へ向かっていました。午前中は海洋観測のため停船、午後から朝にかけて走る、という毎日です。
  オーストラリアの下まで東へ進み、今度は進路を北に変えました。東経150度の線上を真北に向かっています。

  そして、やはり揺れが大きくなりました。
  机の上のものが、突然走り出します。カップが倒れて、中のお茶がこぼれます。
  座っている椅子が横に滑っていきます。風呂に入っていると、船の傾きにつれて湯船のお湯がざぶーんと動きます。食堂のテーブルにはゴムのマットが敷いてあります。お茶碗やおわんが飛んでいかないようにするためです。

「  しらせ」乗員の人たちは海上自衛隊員、船に慣れているので平気な顔をしています。
  でも観測隊員、特に越冬隊員は久しぶりの船旅なので、この揺れはつらいです。特にこうしてパソコンの画面を見ているのがきついです。

  「しらせ」はこのまま北へ向かい、間もなく暴風圏に突入します。

  現在の「しらせ」の位置はこちら
  「すすめ!しらせ」国立極地研究所
   http://www.nipr.ac.jp/jare/
shirase/index.html

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月12日  南極工芸展
工芸展で作品に見入る人たち
工芸展で作品に見入る人たち
  今日は「しらせ」の艦内で工芸品の展覧会がありました。
  展示品は皮細工、木工、金工、・・・。乗員のなかには、あっと驚くような技能を持った人がいます。
  ビンの中に木で組み立てた船の展示がありました。「しらせ」の模型です。細かい木片を組み立てて船体を見事に再現してあります。飛行甲板にはヘリコプターも乗っています。
  みなさん航海の勤務のかたわら、揺れる船内でこつこつ作り上げたようです。

  ちなみに私と同室、観測隊の小川ドクターは手編みの帽子を出展しました。消火器外科が専門のお医者さんで、手術の腕前を維持するために編み物に没頭しています。ここ数日、毎日夜なべして編み上げました。さすがお医者さん、夜勤もぜんぜん平気みたいです(昼間は寝てましたが)。

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月10日  時刻帯変更
  夕食後、艦内放送がかかりました「本日、時刻帯変更に伴い、23:00Hを24:00Iとする」。
  昭和基地と日本は6時間の時差があります。日本がお昼の時、昭和基地は朝の6時です。

  「しらせ」は昭和基地を出港して以来、南極大陸の沖を東へ進んできました。現在の位置は南緯64度02分、東経130度38分です。
  東へ行くにしたがって、太陽の昇る時間がだんだんずれてきます。それに伴って、船の中で使う時間をずらしてきました。時刻帯変更のときは、夜の11時が12 時になります。睡眠時間が1時間減ります。

  ちなみに「24:00I」の「I」とは時刻帯を表す記号です。昭和基地はCでした。時間がずれるごとにD→E→Fときて、今夜「しらせ」はIになります。
  日本の時刻帯はI、つまり今夜から「しらせ」の時間と日本の時間が同じになりました。

  明日から日本のおはようが「しらせ」でもおはように、日本のおやすみが「しらせ」でもおやすみになります。

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月7日  南極大学
講義中
講義中
卒業証書
卒業証書
  「しらせ」での航海中に南極大学が開講します。
  観測隊員が南極での観測や業務について、「しらせ」の乗員に講義します。
  4日間続いた南極大学、今日が最終日です。

  今日の一時限目はオーロラについてのお話でした。昭和基地で見られたオーロラを写真とビデオで眺めました。

  二時限目は私の講義、タイトルは「しらせ乗員の方のためのGPS入門」です。GPS の仕組みと問題点、南極での観測結果などを紹介しました。
  聴講者は70名ほど。みなさん真剣に聞いてくれました。

  講義の後、卒業式がありました。
  南極大学には学長(大学の本物の先生)がいます。ローブと角帽、自作の衣装まで用意した学長の先生が、卒業生に卒業証書を配ってくれました。

  ちなみに南極大学は、第1次隊から続いている歴史ある講座です。

▲ページの最上部へ戻る▲


2008年3月1日  南極観測とは
第48次南極地域観測隊(越冬隊員35名)
第48次南極地域観測隊(越冬隊員35名)
  今日も「しらせ」は南極大陸の沖合いを東へ向けて進んでいます。小雪が舞い、船体が大きく揺れています。

  先日の会議で、隊長が次の言葉を紹介してくれました。

−−−−−
  探検とは、知的情熱の肉体的表現である。

  あなたが知識への欲望を抱き、それを自分の肉体で表現する力を持っているなら、迷わず外の世界に飛び出してゆくべきだ。

  ある人は極地へ行くといえば気が狂ったかと言い、多くの人々は「行って何になるんだ?」と問うだろう。
  私たちは資本主義社会に暮らしている。
  目の前の利益に直接結びつかないことに夢中になったり、金を生まないことに目を向ける者はめったにいない。
  だから、あなたはほとんどの場合、結局は一人でソリを引くことになるだろう。
  もちろん、いっしょにソリを引いてくれる仲間がいたとしたら素晴らしいことだ。
  その仲間こそ、あなたがもっとも大切にすべき人間だろう。

  今こそ、大いなる旅に出発しよう。
  得るものは必ずある。
  それが、結果的にはたったひとつのペンギンの卵であったとしてもだ。

  チェリー・ガラード「世界最悪の旅 スコット南極探検隊」より
−−−−−

  二十世紀始め、南極点到達の激しい競争が繰り広げられていました。結局、イギリスのスコット隊は、ノルウェーのアムンゼン隊に敗れてしまいました。しかも、極点を目指したスコット隊のメンバーは、全員生きて帰ることはできませんでした。
  スコット隊に参加し、自分自身も過酷な旅行に同行したチェリー・ガラードは、その経験を「世界最悪の旅」という本にまとめました。先ほどの言葉は、この本の最後に書かれています。

  「多くの人々は「行って何になるんだ?」と問うだろう」
  私の職場は、基礎的な研究を行う組織ではありません。主に応用的な研究を行う組織です。今までに南極観測隊に職員を派遣したことはありませんでした。「南極へ行きたい」私の要望に対し、職場のトップは次のように答えました。
  「失敗を恐れる必要はない。一度で成果が出なければまた行けばいい。ぜひ実現しよう」。
  この決定は前例が無いものでした。「目の前の利益に直接結びつかないこと」のために、一人の職員を一年以上の期間送り出したことは驚くべきことだと思います。

  「結局は一人でソリを引くことになるだろう」
  たしかに、結局は自分でやらなくてはなりませんでした。観測機器の梱包も、物資の輸送も、様々な調整も。職場には南極経験者がいません。周りに教えてくれる人はいませんでした。観測隊の常識を知らず、隊員はこんなことまでやらなくてはならないのか、と思ったこともありました。

  「今こそ、大いなる旅に出発しよう。得るものは必ずある」
  南極での越冬生活を振り返ると、私にとってここで得ることができたもっとも大きなものは、膨大な観測データではなく、いま一緒に日本に帰ろうとしている隊員一人ひとりだと思います。
  南極への私の旅は、もう間もなく終わります。

▲ページの最上部へ戻る▲


←2008年2月

通信・航法・監視領域 主幹研究員
第48次南極地域観測隊隊員

新井 直樹(あらい なおき)


本観測隊では、高緯度地域におけるGPS観測による電離圏・大気圏の研究をはじめ、超電導重力計、VLBI観測などを担当します。

【第48次南極地域観測隊の主なスケジュール】
2006/11/14 観測船しらせ、晴海埠頭出航
2006/11/28 しらせ、フリーマントル入港
2006/12/03 しらせ、フリーマントル出港
2006/12/23 しらせ、昭和基地接岸
2008/02/20 しらせ、昭和基地出航
2008/03/20 シドニー着
2008/03/26 隊員下船